午後から昔から知り合いのK田さんの工房にお邪魔しました。移転案内では知っていましたが、何とそこは元酒蔵。造り酒屋。町の真ん中に広い敷地有に500坪は軽くある。そして、静か。いい環境です。そこに昔の風情を残したまま古びた酒蔵跡。人の往来が偲ばれ、タイムスリップしたかのようにありました。左手に酒蔵、右手に米を精米するところ、土蔵には米の文字、米倉だったんでしょうね。普通土蔵は火災に会わないように「水」「龍」が書かれているんですが、ここは「米」。中を見せてもらいました。町屋の造りで、太い梁、高い天井、土間の床、明かり取りのやぐら天窓。貯蔵タンク、器具類はそのまま、朱塗りの角樽もみかけました。きれいにして整備したら、町の真ん中のにぎわいの場になるんじゃないかなと思うくらいでした。このまま朽ちるのを待つのは非常に惜しい思いを感じました。庭も贅を尽くしたものです。店舗として母屋として使われていたところは重要文化財です。
午後から昔から知り合いのK田さんの工房にお邪魔しました。移転案内では知っていましたが、何とそこは元酒蔵。造り酒屋。町の真ん中に広い敷地有に500坪は軽くある。そして、静か。いい環境です。そこに昔の風情を残したまま古びた酒蔵跡。人の往来が偲ばれ、タイムスリップしたかのようにありました。左手に酒蔵、右手に米を精米するところ、土蔵には米の文字、米倉だったんでしょうね。普通土蔵は火災に会わないように「水」「龍」が書かれているんですが、ここは「米」。中を見せてもらいました。町屋の造りで、太い梁、高い天井、土間の床、明かり取りのやぐら天窓。貯蔵タンク、器具類はそのまま、朱塗りの角樽もみかけました。きれいにして整備したら、町の真ん中のにぎわいの場になるんじゃないかなと思うくらいでした。このまま朽ちるのを待つのは非常に惜しい思いを感じました。庭も贅を尽くしたものです。店舗として母屋として使われていたところは重要文化財です。
コメント一覧 (3)
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- 2007年07月15日 22:26
- 当時、何処かの味噌屋を移築したと聞いていますが・・・だとすると、もっともっと古い部材が使われているのかもしれません。木は1000年以上もつと言いますから、この部材達にとっては、100年程の時間の流れは、泡沫なのかもしれません。私は、向かいの○茶屋のおじいさんが、毎日喜多家の松を一日中眺めていた姿が思い出されます。ほんと一年中毎日眺めてた・・・
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- 2007年07月15日 22:40
- あ〜醤油屋か〜近からず遠からず。かな?、麹には、殺菌力があるから、味噌屋、醤油屋の建物は珍重されたとも聞いています。昔もシロアリに近い奴らもいたんだろうなぁ・・・
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ここは重要文化財に指定はされていないが喜多家の元酒蔵。喜多記念館の裏手にあり左側に酒蔵、右側に酒米の精米施設と土蔵がある。
http://www.design-to.com/kita/photo2.htm
喜多記念館のHPにもリンクしています。
典型的な藩政期の加賀の町家建築には、目を見張るものがあります。